家系図作りを咎めた馬鹿げた裁判

こんな馬鹿げた裁判が行われたとは呆れる(ココ)。
そもそも家系図を作るのに行政書士の資格が要るとする検察の考えが理解できない。検察は家系図が事実関係証明書類と捉えているようだが、それが根本的な間違いである。家系図歴史学で言う一次史料ではなく、一次史料を基に編集された二次・三次史料である。これらのうち間違いのない事実を語るのは一次史料のみである。したがって家系図は事実関係を証明するものではなく、伝承に近い性格のものと考えるべきである。そのようなものを作成するのに行政書士の資格は必要ない。
次に家系図の作成には史実の探求が必要となる。そのような作業は行政書士の仕事と言うより、歴史研究の分野に入る。この点からも行政書士の資格が必要と言う検察の見解は的外れである。
最高裁の判決は当然としても、判決の理由は物足りない。今回問題となった家系図が「観賞や記念が目的。対外的に意味のある証明文書ではない。」として、事実証明書類ではないとした。これは家系図の本質を述べたものではない。今回の家系図に限らず、家系図というものが法的な事実証明書類にはなり得ないものだと、家系図の本質に突っ込んで欲しかった。
裁判長は補足意見で「郷土史家らも家系図を作っており、行政書士でないと国民生活が混乱するというのは大仰すぎる」と述べたそうだが、これも本質に突っ込んでいない。郷土史家と言う言葉も旧世代の捉え方で気に入らないが、それはさて置くとして、家系図が事実証明書類ではないのだから、それを作るのに行政書士の資格は必要ないと明言して欲しかった。歴史を語る上で系図はしばしば登場する。その議論に行政書士の資格は役に立たない。従って、「家系図作成ビジネスを手がける行政書士は多く、無資格でも違法にならない場合があるとした判決は影響が広そうだ。」と言う報道もピントはずれであり、家系図作成が行政書士の固有ビジネスと捉える業界や記者の感覚が根本的におかしい。
この裁判自体もその報道も大きくずれていると言わざるを得ない。