日本の野球に革命を引き起こした与那嶺氏逝く

往年の名選手与那嶺要氏が亡くなった。ご冥福を祈る。
与那嶺選手は鮮烈な印象と共に登場した。日本野球へのデビューは対中日戦で、中日の投手はエース杉下。終盤近く代打で登場し、三塁前のセーフティバントで見事に出塁。この時、監督水原は代打を出そうとベンチを見たら、皆下を向いていた中で只独り与那嶺だけが頭を上げていたので、代打に指名したと言う。
与那嶺はこの後、柔らかいバッティングで打ち捲っただけでなく、ちょっとでも隙があれば走り捲り、日本の野球に革命を齎した。外野手前のヒットでも、外野手が山なりの返球をするとすかさず二塁を奪い、きわどいタイミングでも野手のグラブをはじいてセーフにしてしまうなど、当時の日本の野球の甘さをとことん思い知らされた。二盗、三盗、本盗とやってのけた1イニング3盗塁の離れ業は、永遠に輝き続けるだろう。
与那嶺が入る前、タイガースの藤村(弟)投手は巨人を鴨にし、巨人キラーの名を轟かせていた。その藤村を与那嶺は逆に鴨にして打ち捲ったので、藤村は巨人に対する神通力を失ってしまった。
巨人第二期黄金時代、与那嶺と千葉が一番、二番を打ち、絶妙なコービを誇っていた。日本選手権で南海ホークスと対戦した時のこと、与那嶺が三塁打を放ち、次打者が千葉。千葉は三塁走者の与那嶺と目を合わせて打席に入る。サインは出ていないが、二人の間で以心伝心の打ち合わせは完了。ピッチャーが投げた瞬間に与那嶺はスタート、千葉は綺麗なスクイズバント。サインが出ていたなら見破ることも出来ようが、ノーサインなので警戒のしようもなく、文句無しの1点。
当時大洋ホエールズ(今の横浜ベイスターズ)に土井と言う名捕手がいた。強肩でインサイドワークに長けた捕手だった。二塁ランナーのリードがちょっとでも大きいと強肩を利してランナーを刺すのを得意としていた。与那嶺が二塁に出た時のこと、ややリードが大きいと見て土井が二塁に矢のような送球をしたのだが、与那嶺は何と三塁に走ってしまった。土井の得意を逆手に取った走塁であった。跡で土井は、あれには魂消ましたと語っていた。
このように与那嶺が入ってから色々な面で相手チームは掻き回され、リズムを狂わされた。巨人にとっては得がたい戦力であった。彼のプレイは我々ファンに強烈な印象を残し、今もありありと彼の活躍が瞼に浮かぶ。戦後間もない時期の最高の名選手であった。