津波の大きさ想定の甘さ

3月11日の巨大地震で、三陸海岸に上陸した津波は山をせり上がり、海面から20メートル以上の高さに達したとみられると言う。女川港では、海沿いの3階建てビルの屋上に漂流物が積もり、海に面した側の窓ガラスが高いところまで割れていることなどから、津波の高さは15メートル以上と推定されている(ココ)。
岩手県宮古市田老地区では営々として築いた高さ10メートルの防潮堤も、それを遥かに超える津波の前には全く無力だった(ココ)。
これらの記事を読むたびにやるせない気持ちになる。それは昔聞いた三陸海岸の巨大津波の記憶が頭にあるからだ。国内ではこれまで、1896年の明治三陸地震の時に同県大船渡市で記録された津波が38・2メートルで、これが国内最大だと言う。奥尻島津波も23.3mを記録している。我々素人でも知っているその巨大津波を、専門家が知らなかった筈はない。
それらを全部無視したのか、福島原発の設計に際して津波の大きさを最大4mと想定したと言う。三陸リアス式海岸と同列にはならないとしても、4mという値は何を根拠としたのか、全く理解に苦しむ。もし津波対策が完全であれば、あの巨大地震に遭っても原子炉は完璧に停止し、燃料棒を見事に冷やすことができ、地震対策を誇ることが出来たであろう。現実は大甘振りを暴露してしまった。何とも悔やまれる。
【追記】
大船渡市の綾里地区を襲った津波の高さは、港湾空港技術研究所の現地調査で最大23m以上だったことが判ったそうだ(ココ)。