戦友が伝える兄の命日

兄の戦死公報は、兄は昭和20年8月1日戦死と記していた。暁部隊で生き残ったのは約三千名中僅か11名。その戦友は兄の命日を1日ではない、11日だと言った。場所はどちらもフィリピンのラモン湾と一致する。暁部隊が出撃するのは最悪の戦場ばかりで、生き残りがたったの11名では正確な記録もある筈はなく、正しい命日がどっちか確かめるすべは無いが、場所が一致していることから見て、戦死したのが8月の始めであることに間違いはなかろう。
もうちょっと生き延びていて呉れたらという思いはあるが、暁部隊にいて8月始めまで生きていたのは、武運の強い方だったと言えるだろう。
今年で66年目、と言うことは67回忌。小豆島の富岡八幡神社で毎年11月23日に暁部隊の慰霊祭をして下さっていると聞く。一度行ってみたい。