柴田圭子氏の話は重い内容

昨日の歴史塾「湯築城跡の発掘調査から国史跡指定へ」と題する柴田圭子氏の話は大変重い内容を含むものだった。柴田さんは湯築城跡の発掘調査に、最初から最後まで携わった方。行政としては、工事の前に発掘調査をするのは義務なので、やることはやるがさっさと済ませて日本庭園工事に掛かりたい。だが柴田さん達調査員としては、いい加減な調査で終わらせるのは考古学研究者の良心が許さない。行政は始めから保存など考えていない。調査結果を早く纏めて記録保存でお茶を濁すつもり。記録保存とは遺跡そのものは壊すことを意味する。だが調査員たちは調査を開始して直ぐにこれは凄い遺跡だと気がつき、これを壊して良いのかと、発注主の行政との板挟みとなり、苦悩が続いた。
その当時、調査員たちがそんな苦しみを味わっていたとは知らなかった。我々は凄い遺跡が残っていると知り、湯築城跡を守る市民運動を立ち上げ、展開して行ったのだが、調査員たちの遺跡を潰してはならないと言う考古学研究者の思いが、図らずも車の両輪のように作用した気がする。
柴田さんの話の纏めと、そこから気がついた事柄を整理して書きたいが、非常に重い内容を含んでいるので、纏めるのは簡単ではないが何とかするつもりだ。柴田さんは昨日、極めて貴重な話をして下さった。心から感謝したい。