司馬遼太郎は乃木将軍を個人感情で描いたのか?

昨夜の「坂の上の雲」は203高地争奪戦を描いていたが、その作戦は児玉源太郎が乃木から第三軍の指揮権を譲り受け、児玉が指揮したとしている。司馬は乃木を嫌っていたのか、乃木を愚将と断じ、203高地攻略戦では児玉が乃木から指揮権を奪って指揮したように書いているのも、その表れなのだろうか。
この件は「坂の上の雲」を読んだ時から本当かと疑問を感じていた。そんなことは軍律違反であり、普通に考えれば出来るはずがない。そうしたら先日これを真っ向から否定している書を見つけた。それがどこに行ったか手許に見当たらないが、そこには本件に関する史料は幾つもあり、それぞれ自分の側に都合良く書いているそうで、司馬はその一部を見ただけで、全部に目を通していないと言う。実際には児玉は作戦会議で意見を述べただけで、指揮権を奪うなどしていないと言う。28サンチ榴弾砲も移動を必要としたのはごく少数だったという。
司馬は第三軍の作戦は愚劣で、無駄な総攻撃を繰り返したのみと言うが、本当は第一回総攻撃を除いて、非常に合理的な方法を採用しており、第一次世界大戦において要塞攻撃に際して、第三軍の戦法が参考にされているそうだ。
第一回総攻撃は、旅順要塞の実態が判らぬまま決行されたので、一万を越す大損害を蒙った。だがこの戦いで野砲の弾丸が全然効果のないことを見て、直ちに退却を命じ、以後は堡塁の下まで孔を掘りぬいて、堡塁を下から爆破する戦法に切り換えたのだそうだ。この戦法は時間が掛かるが、堅固な要塞を攻略する手段はこれしかない。戦法をこのように切り換えた効果か、第二回、第三回総攻撃では損害は双方同等だったらしい。
最後の203高地攻略戦では、乃木は損害を顧みず波状攻撃を命じたと言う。それはロシア軍の予備兵力も底をつき、徹底的は反撃はそろそろ出来なくなっているはずと判断したからとのこと。その読みが当たり、203高地の奪取に成功したのだそうだ。
そもそも第三軍は最初は旅順のロシア軍の蠢動を抑えるため、旅順を攻囲するのが目的だった。それがロシアの旅順艦隊が港に籠って出て来ないので、艦隊を背後から攻撃するため旅順要塞を攻略することが必要となり、旅順攻略軍に任務が変更されたもので、要塞攻略のための十分な装備もなかった。更に旅順があれほど堅固に要塞化されているとは全然判っていなかった。そのため第一回総攻撃では甚大な損害を蒙ったが、その後、戦法を転換し、当時不可能と考えられていた要塞攻略を成し遂げたのだから、乃木は司馬の言うような愚将でなく、矢張り名将だったと思う。考えても判ることがだ、愚将だったら将兵があれほど激しく戦うはずはない。戦死の確率が高いのは承知で命に服したのは、乃木が部下から慕われていたからではないのだろうか。
乃木に関しては司馬の描き方は承服できない。好き嫌いは勝手だが、小説であっても事実を曲げて書くのは不愉快だ。