河野館跡かも知れぬ場所で病院の増築工事

迂闊だった。今朝の愛媛新聞に「中世伊予・河野氏当主館想定の地 松山の病院工事で掘削 県・市教委包蔵地していせず」と題し、工事の写真とともに県・市教委の手抜かりを指摘している。
この場所が河野館跡ではないかとの推測は、2002年の県道拡幅工事に先立つ行政発掘で1町四方の空堀の一部が発見されたことに基づく。この病院は奥島病院で定期的に治療・検査に通っているので、何か工事をやっていることも知っていたが、工事現場は完全に囲われていて、どのような工事をしているかまでは判らなかった。
工事内容が判らなくても、場所が河野館跡と推測されている場所の一部であることは知っていたのだから、問題提起くらいはすべきだったと悔やまれる。
それにしてもこの場所に対し、埋蔵文化財包蔵地の指定がなされていなかったとは呆れる。これは教育委員会の手抜かりであり、怠慢と責められても仕方ない。また当時湯築城跡の保存運動に携わっていた我々としても、その場所が河野館跡ではないかと推測されたとき、直ちに包蔵地指定がなされているか否かを確かめるべきだった。ただ道後一帯はかなり広範囲に包蔵地に指定されているので、当然その中に入っているものと疑いもしなかったのも事実である。だから記事で包蔵地に指定されていなかったと記されているのを見て、飛び上がるくらい驚いた。誠に迂闊で、慙愧に堪えない。
参照:中世遺構想定の場所、病院が工事で掘削 2012年07月26日(木)