長嶋を知る世代はもう僅か

日本野球史上最高の選手は誰かと問われれば、躊躇無く「長嶋」と答える。だが、長嶋を知る世代は高齢者となり、もう僅かしか居ない。長嶋に国民栄誉賞を出さなかったのは何故か、王が言う通り不思議に思っていたが、生存中に授与する運びとなったのは本当に良かった。星野は遅過ぎたと述べたようだがその通りだ。
以前、或る若い人から長嶋とはどういう選手だったのかと尋ねられ、華も実もありファンの期待に最高に応えた選手で、記録を比較しても判らないよと答えたことがある。打撃ではここで一本打って呉れとファンが願う場面で実に良く打ったので、長嶋は常にヒットを打つかのように錯覚してしまう。打率や得点圏打率などの数字では判らない。守備でも広岡と鉄壁且つ華麗な三遊間を誇った。
当時セントラル・リーグは各チームに素晴らしいエースが居たが、どのチームもエースを巨人戦にぶつけて来た。そのエース達と長嶋との勝負を手に汗握って見つめたものだ。打者と投手の名勝負物語を一番沢山残しているのは、長嶋と川上ではなかろうか。
兎に角長嶋は花も実も有る戦後最高のプレイヤーであることは間違い無い。集中力が凄かった。同じ時代に活躍した野村克也氏は天才選手とは長嶋と広瀬(野村と同時代の南海のショート)の二人だと評している。そして野村のボヤキ戦術が長嶋には全然通用しなかったと述懐している。戦後最高としたのは、戦前のことは見ていないので判らないからで、戦前・戦後を通じて日本最高と言えるのかも知れない。戦前の選手では伝説の人、澤村投手を挙げるべきだろう。澤村はまだ中学生(現在の高校生)だったとき、大リーグと対戦する全日本チームに選抜され、ベーブ・ルースルー・ゲーリッグ相手に、大リーグ選抜を確かゲーリッグのホームラン一本の1−0に抑えると言う、伝説に残る快投を演じた快速球投手。三回目の応召で戦死したので、戦後その雄姿を見ることは出来なかった。長嶋が単に伝説で残るだけに終わらずに済んだのは喜ばしい。