舞鶴港は軍港だったか、要港だったのか?

今日ののど自慢の会場は舞鶴。司会のアナウンサーが「舞鶴港は昔軍港として・・・」と言っていたが、昔、舞鶴港や要港と書かれていて、軍港と書かれたものを見た覚えが無い。
そこで調べてみたら、舞鶴は始め軍港とされたが、後、要港に変更され、また軍港となったと記されている。以下、引用する。

世界大百科事典 第2版内の要港の言及
@nifty辞書 世界大百科事典 第2版 要港とは
【軍港】より
日本では,1884年横須賀に鎮守府を開設して軍港に指定したのが最初で,86年には海軍条例によって日本周辺海域を5海軍区に分け,各海軍区に軍港を,各軍港には鎮守府を置くことになり,呉,佐世保は89年,舞鶴は1901年,旅順(満州)は05年,それぞれ鎮守府開設とともに軍港となった。以後海軍区の変更等によって,旅順は14年,舞鶴は23年,それぞれ要港となり,舞鶴は39年ふたたび軍港となった。要港とは,《要港部条例》(1896)で定められたもので,軍港より規模,機能とも小さく,鎮守府司令長官の指揮下に置かれた。(ココ

しかし子供の頃、舞鶴港は要港となっていて軍港と書いてないので、何故軍港でないのかと疑問を抱いた記憶がある。不思議。