ネーチャー誌に投稿された論文に関する騒動について

笹井氏は、小保方さんがネーチャー誌に投降した論文で主張したSTAP細胞の存在は仮説と述べた。これはその通りで、今更仮説とは何事かと言った人が居るが、論文が一つ出ただけでそれが定説になるわけがない。議論を積み重ねていよいよ間違いないと万人が認めて始めて定説となる。こんなことが判らぬとは驚いた。
誰だったか忘れたが、小保方さんの論文が間違っていてSTAP細胞は無いと言うなら、反論を書けば良いのであって、小保方論文を撤回しろと言うのはおかしいと述べた人がいた。これもその通り。
理研は小保方さんが捏造したの改竄したと言ったが、これは有りもしないSTAP細胞を有るように見せかけるため、小保方さんはデータや写真をでっち上げたと理研は判断したことを意味する。だが理研は一年掛けてSTAP細胞の再現実験をすると言う。一方で無いと判断しながら、他方で再現実験をするとは矛盾ではないか。しかもその実験に小保方さんは入れないと言う。これでは何かを取り繕うため、小保方さん一人を悪者にしようとしているように見える。トカゲの尻尾切りで誤魔化そうとする理研は発狂している。
笹井氏は、自分は論文を仕上げる段階で参画し、関係した期間は短かったと述べたのを、マスコミは逃げを打っている、責任逃れをしようとしていると批判したが、これは単に事実を説明した言葉であろう。問題は、従って若山研究室時代のテータや写真などを見なかったことではなかろうか。そこまで遡って見なかったのは、若山教授に対する遠慮ではなかったか。論文をきちんと仕上げるためには、笹井氏自身の目で全体を見て、咀嚼し、全貌を把握すべきではなかったか。そうしていれば今回の論文の不備は避けられたのではないかと残念でならない。
笹井氏は小保方さんを発想力の優れた人、発想の豊かな人と評していた。これはヴァカンティ教授も言っていたと思う。その一方で杜撰なところもあると言った。これを聞いて察するに、小保方さんは発想がポンポン跳ぶのではなかろうか。我々愚鈍で発想の乏しい人間は、こうだからこう、だからこう、とステップを順に踏まないと進まない。だから発想力の豊かな人、勘の鋭い人に付いて行くのは大変で、冷や汗が出る。だがそういう人は得てして余り記録しない。凡人は推測するしかないのだが、記録が下手なのではなく、記録する必要を感じないのではなかろうか。それが杜撰と見える結果に繋がったのではなかろうか。研究者であれ、建築家であれ、スポーツ選手であれ、天才肌の人、集中力の極めて優れた人に良く有る話である。
笹井氏は小保方さんの強い所を引き出す努力はみんなでしたが、弱い点をカバーする努力が足りなかったと反省を述べた。笹井氏が詰まらぬ遠慮をせず、過去のデータや写真も洗い直し、小保方さんの弱い点を十分にカバーする作業を通じて、いわゆる on the job trainingu を実行していれば、今回の論文の不備は避けられたであろうし、小保方さん自身の飛躍にも繋がったのではなかろうか。
理研が過ちを改めないなら、小保方さんはヴァカンティ教授の所に移ったほうが良い。但しその場合には将来陽の目を見るであろうSTAP細胞に関する権利を日本は総て捨てることにだろう。