侏儒国、裸国、黒歯国も倭種か?

魏志倭人伝は伊予の倭種の国について記した後、「また侏儒國あり、その南にあり。人の長三、四尺、女王を去る四千余里。」と続く。倭種の国の南に侏儒国があり、その位置は女王を去る四千里(320km)というから、女王の居る場所を博多湾沿岸とすると、矢張り伊予の中と推測される。ここで問題は、侏儒国も倭種と言うのだろうか。魏志倭人伝は侏儒国も倭種の国だから記載したのだろうか。この点がはっきりしない。
その次の「また裸國・黒歯國あり、またその東南にあり。船行一年にして至るべし。」裸国・黒歯国についても同じ問題が存在する。それは裸国・黒歯国以外に国はもっと沢山あった筈なのに、何故この二つだけ記したのか、その理由が判らない。裸国・黒歯国が矢張り倭種の国だから記したと言うのだろうか。船行一年とあるのは二倍年暦と考えれば半年で到達することになるが、実験では潮の流れに乗ればもっと少ない日数で日本から南米に到達することが確かめられている。また、南米西海岸からは縄文土器そっくりの土器が出土することや、日本や西蔵にしか存在しないDNAの型が南米西海岸にあることや、現地の伝承などからインカと日本の関係が論じられている。従って日本と南米西海岸とが関係有りとしても不思議はないが、倭人伝のこの一文は倭人が南米まで行って来たことを語っているのか、それとも倭人伝に乗せたのは裸国・黒歯国が倭人の国と言いたいのか、どちらなのか気になる。
この一文は中国の何だったか書名(海賦?)を忘れたが、同じ文が載っており、更にコンドルと思われる毛翼と言う猛禽の話を、倭人から聞いたとして記している。倭人伝ももう少し詳しく、正確に書いて呉れていたら迷路に入り込まずに済んだものを罪作りなことをしたものよ。