女王国の東、海を渡る千余里の倭人の国

魏志倭人伝には女王国に属さない倭人の国について、「女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種なり。」と記載されている。魏志の里は短里なので、千里とは80kmであり、大分県から海を渡れば愛媛県に至る距離である。伊予にあった倭種の国は、「皆倭種なり」と言う表現から見て一つでなく、複数あったのであろう。
松山市で発見された樽味四反地遺跡では丁度卑弥呼の時代の巨大建物跡が出土し、大首長クラスの存在が想定されている。魏志倭人伝が伝える倭種の国の一つであろう。しかもこの地には縄文末期から江戸時代に至る各時期の遺跡が存在し、途絶えた時期が無い。そうなると、久米官衙移籍群との関係がますます気になる。
久米官衙移籍群にも縄文時代から人間が住んでいた痕跡があり、7世紀には政庁や官衙正倉院があった遺構が出土しており、しかも政庁跡としては最も古いものだと言う。どちらも半端な遺跡ではない。
そんな二つの国が隣接して存在していたのだろうか。それにしてはどちらも事績が全く伝わっていない。越智氏については信用ならぬかも知れないが、白村江の敗戦とその後の苦労も伝わっているだけに、何ともじれったい。