コンクリートブロックより強い穴太積み

今朝の新聞に「穴太衆 石垣技術海外へ PR実り米から初受注」と題する記事が載っていた。安土城などの石垣を築いた石工集団穴太衆の技術を伝える粟田建設が、米西部ポートランドの財団が管理する日本庭園の拡張工事で石垣を築く。
穴太衆の歴史は相当に古いらしいが詳しいことは判らない。穴太衆の石垣が広く知られるようになったのは、信長の安土城築城からと言う。信長が比叡山を攻めた時、延暦寺の石垣の堅牢さに感心し、安土城の築城の際に穴太衆に石垣を造らせた。以後全国に穴太衆が重用されることになった。
朝来市竹田城は近年天空の城として有名になったが、竹田城の石垣も穴太衆が造ったものである。その石垣を修理したのも穴太衆の技術を今に伝える粟田建設であった。竹田城石垣の修理は、第一回が1971年(昭和46年)から1980年(昭和55年)の間に行われ、第二回目となる緊急修理が昨2014年に行われた。第一回目の総責任者は故粟田万喜三さんで、その時助手を務めた粟田純司さんが第二回目の総責任者として指揮を取った。
平成10年頃だったと思うが、城郭フォーラムで竹田城を訪れ、現場で粟田純司さんにお話しして戴いたことがあった。その時先代の万喜三さんのことや、石の積み方などを詳しく話して下さった。その中で一番印象に残ったのは、石の声をきくと言うお話だった。石を積む前に集めて来た石を見ることから始める。一つ一つの石がどこに行きたがっているか、石の声を聞くと言う。そうするとこの石はあそこ、あの石はここと全体のイメージが纏まって来る。これに三日位掛る。それが出来てから石を積み始めるのだそうだ。そのほか、縦目地は絶対に通さない、石の先端は合わせず少し奥で重ねる、グリ石を入れ排水を良くする、等々印象に残るお話だった。
現代の石垣はコンkリートで裏打ちをすると法律か規則かで決められていると言う。或る時文化財の石垣修理を依頼されたが、コンクリートの裏打ちをするようにといわれたので、穴太積みは全面から排水し、どんな大雨が降っても土圧が上がらないから崩れないと説明しても、どうしても裏打ちをしろと言われたので、その仕事を断ったと仰った。これは粟田さんの言う方が理に適っているだろう。
しかも穴太積みは排水性だけでなく,耐荷力もコンクリート・ブロックの擁壁よりも強いことが、京都大学大学院などによる耐力実験で証明され、東海自然歩道沿いの壁に使われている(ココ)。
安土城以後の城の8割以上の石垣が穴太衆が積んだものと言う。その素晴らしい技術が海外にも展開するとは、真に感慨深い。
【参考】
株式会社粟田建設
戦国の技術を今に伝える穴太衆、粟田万喜三、純司、純徳氏、三代にわたり竹田城の石垣を修復
竹田城