石原元知事に失望

石原元知事は大きな功績を残した。その点は高く評価するが、先日の記者会見に於ける豊洲問題のやり取りを聞いて、大変失望した。自分は専門家ではないので、専門家の判断に従うしかないと逃げの一手。裏切られた感じがする。
企業の社長も総ての分野の専門家ではない。だが社運を賭けた決断を迫られる時が有る。その意味で思い出すのが富士通中興の祖と言われる岡田完二郎社長である。岡田社長の時、富士通はコンピュータに社運を賭ける方向に舵を転じた。コンピュータの開発には膨大な資金を要する。コンピュータは数年毎に世代交代を繰り返して進んで行く。その過程で一度でも開発に失敗し、ユーザーに受け入れられなかったら資金の回収が出来ず、富士通のようなコンピュータ専門会社は恐らく倒産してしまう。コンピュータ開発はそのような大きなリスクを背負う。
昭和40年頃だったと思うが、富士通は初のICコンピュータ230-60の開発に取り組んでいた。そして開発が進み、製品化するか否かの決断の時がやって来た。出来たばかりのICを使った、世の中初のコンピュータ。それがユーザーに受け入れられるかどうか、判断する手懸りなど存在し無い。やるかやらないか、最後は社長の決断しか無い。その時岡田社長は担当部門を総て廻ったと言う。岡田社長はコンピュータについて凄く勉強したそうだが、だからと言って技術的な判断が出来る訳ではない。では全部門を廻って何をしたか、担当者の顔を見て廻ったと言う。そして担当者全員が自信に満ち溢れていると感じ取り、これなら行けると製品化の断を下したと聞いている。結果は見事に当たり、230-60は富士通の名機と謳われた。
トップに立つ者は総ての分野の専門家では無いのは当たり前。それでも最後は自分の責任で断を下さねばならない。石原氏と岡田氏の覚悟・態度には雲泥の違いが有ると言わざるを得ない。岡田氏は古河グループの中核企業のトップだったため、戦後GHQの追放令で退いたが、後宇部興産の副社長に招かれ、或る内閣では大臣となることを打診された事もあったが断り、その後、当時名も無き富士通の社長を委嘱されて引き受け、富士通をコンピュータのトップ企業に育て上げた人物で、その功績から富士通中興の祖と讃えられている。岡田氏は、役員のうち賛成が3人しかいないならGo、5人も賛成ならもう手遅れだと言っておられたと聞く。実に先見性の有る信念の人物だったと思う。