湯築城歴史講座 平成29年度第一回が開催

湯築城歴史講座の今年度第一回が子規博で開かれた。テーマは「戦国期瀬戸内の物流と地域権力」で、講師は本多博之氏(広島大学)。
瀬戸内の物流の移り変わりとその要因が要領良く纏められ、最後は豊臣政権主導の物流構造となったことが素人にも理解できた。だが唯一つ判らないことが残る。最後、政権主導型の物流となったのは、秀吉の海賊禁止令で、それまで瀬戸内の物流や治安を司って来た村上氏を追放し、瀬戸内の実権を政権が支配したことによる。
それまで海賊と呼ばれた村上氏らの実態は海族と言うのが正しく、その役割は今の言葉で言えば海上保安庁であり、水先案内人であり、自らも水運業者であった。そしてたまに水軍として戦うことがあった。これらのうち村上氏を追放した後芸予諸島近辺の水先案内を誰が肩代わりしたのだろうか。
芸予諸島の潮の流れは複雑で激しく、今でもエンジンが付いた船が島に衝突する事故がある。そのような場所の潮の流れを熟知した村上氏の代わりを誰が務めたのか、この点が分からない。海賊禁止令を出しただけで済む問題ではない。ご存知の方、教えて下さい。