城郭瓦から見た歴史
今日は湯築城歴史塾第三回「城郭瓦の出現と展開」。講師は公益財団法人日本城郭協会の加藤理文氏。瓦の歴史では面白みは期待していなかったが、予想に反して大変面白かった。瓦を造るために人が動くのは当然のことだが、瓦が動くと言う視点は全く考えても居なかったので、大変驚いた。例えば名護屋城が廃城となった後、その瓦があちこちに移動し、瓦を造る工人が居ない地域の城の屋根を葺くのに使われて瓦屋根の城が出来ている。
東北地方は石が無かったので石垣の出現も遅く、瓦も遅れたそうだ。伊達政宗は朝鮮出兵で他の武将が石垣を積んだり、瓦屋根を造ったりするので、石垣や瓦の作り方を知り、帰国後自分の城造りに使ったそうだ。
瓦葺きの城は安土城に始まると聞いていたが、実は安土城より前に坂本城や勝竜寺城で瓦が用いられていたらしい。だがそれは信長の命で光秀が坂本城で使い、同じく信長の命で光秀と関係の深い細川が試みたものだそうだ。それらの結果を活かして信長自身が安土城で瓦葺きを採用したという順序だったと言う。
そのほか非常に面白い話があったが、とても書ききれないので、これくらいにしておく。瓦の歴史も様々なことを語ってくれ、非常に興味をそそられる。