2005-01-25から1日間の記事一覧

鷲尾三郎義久とは

福原合戦(通称一の谷合戦)で義経の道案内をした鷲尾三郎義久は、通説では地元の猟師の子と言われているが、これは完全な誤りと見て良いだろう。 当時、神戸市街地北側の山岳地帯は鷲尾党が支配していた。つい最近まで丹生の里、白川、多井畑に鷲尾家が残っ…

腰越状の「百姓」とは

源義経大辞典(http://blog.goo.ne.jp/yositune1189)の「腰越状の再検討 1」に、「被服仕土民百姓等。」と言う件の「被」の読み方を採り上げて、在来説を批判している。その論旨は筋が通っていて頷ける。 ところで、ここに書かれている「百姓」とは何か。現…