戦国末期における伊予河野氏の肖像画の像主

河野氏肖像画の像主に関する見解は色々と変遷し、確定していないと聞いてはいたが、『戦国末期における伊予河野氏肖像画について 土居聡朋』でその全貌を知ることができた。更に、昔、稲葉氏(臼杵藩)がこの肖像画を調べ、模写までしたのだそうだが、その文書に記された像主比定は現代の見解と食い違っていると言う。
土居聡朋氏はこの論文で像主比定の変遷を整理し、稲葉氏が伝える像主比定に着目し、肖像画に描かれた紋に関する検討と、龍穏寺と天徳寺の歴史を踏まえて、一つの仮説を提唱している。それは、三幅の肖像画のうち桐紋のついていない人物は刑部太輔通宣、桐紋がついた二幅は一方が左京太夫通宣、他方は通直(牛福)で、弾正少弼通直ではないとの見解で、稲葉氏の像主比定の妥当性を裏付ける仮説となっている。
非常に説得力があり、なるほどと頷くばかりだ。