戦艦大和の最期を観て

NHKで戦艦大和の最期を観た。生まれるのが遅すぎた最強戦艦であったが、ノスタルジアを感じる。
それは兎も角として、以前大和の生き残りの方に会ったことがあるが、放映内容にはその方から伺った話と一箇所食い違う点がり、少々気になるので記して置く。
或る時友人と神戸本町の寿司屋に入ったら、壁に大和の写真が沢山掛かっていた。理由を尋ねると、大和生き残りの方の店だと言う。そこでその方に色々と話を聞かせて頂いた。以下はその時聞いたお話の内容である。
その方はかの有名な日本光学製の測距儀の担当だった。だが空からの攻撃に対しては何もすることがない。敵の弾はびゅんびゅん飛んで来る。その弾を遮るものは何も無くどうにもならない。もう覚悟を決めて直立不動の姿勢で立っていた。弾は前から来るだけでなく、後ろからも跳ね返って来る。今振り返って見ると、その時一寸でも弾を避けようと動いていたら、却って弾に当たっていたかも知れない。
やがて艦は傾き、遂に横転し、沈んだ。艦が横倒しになった時その方は海に投げ出され、艦が引き込む水の流れに巻き込まれて沈んで行った。もう駄目だと思った時、大和は大爆発を起こし、その爆発の勢いで吹き上げられ、気が付いたら海面に出ていた。だが動くのは腕一本(確か左腕?)だけで、もう片方の腕も両方の脚も動かなかった。幸いだったのは、その辺りに沢山人がいたので、腕一本で何とか浮いているうち、探しに来た駆逐艦に救助された。もし近くに誰も居なかったら、見つけて貰えなかっただろう。
この話を戦艦金剛に乗組員だった方に話したら、「良く内臓が破裂しなかったものだ。海中で爆発に遭うと、普通なら内臓が破裂して助からない。」と幸運に驚いていらした。
気になるのは爆発の時期で、TVでは大和が横転した時に爆発したと述べており、乗組員の話と違う。横転した時に爆発したのであれば、あの方は助からなかった筈である。以上些細なことかも知れないが、いつか真実が解明されることを願って、記憶を記録に留めておく。
なお、先年神戸に行ったとき、その寿司屋を探したが無くなっていた。お歳から考えてお亡くなりになったのかも知れない。もしそうであるなら、ご冥福をお祈り申し上げる。