来島保存活動の先駆者は大成経凡さん

愛媛新聞(1月14日)に「来島村上氏の本拠地 顕彰会が保存活動 貴重な遺跡後世に」と題する記事が載っている。同記事によると、来島保存顕彰会が来島の遺跡を保存し、来島水軍をPRしようと地道な活動を続け、貴重な文化遺産を守っているとのこと。これはまあ良いとしても、来島に光を当て、保存運動の先鞭をつけたのは大成経凡氏であることを忘れてはならない。記事では「活動は草刈からスタート」と、顕彰会が草刈を始めたかのように書かれているが、とんでもない間違いである。草刈を始めたのは大成氏である。来島に目を向ける者など一人もいなかった時に、無謀にも単独で草刈を始めた。その姿を見て応援する人も現れ、島民も協力するようになったのだが、その初期にたまたま大成氏に出会った石井氏が道後湯築城跡を守る県民の会(現文化財フォーラム愛媛)に連絡し、ここで取り上げ城郭フォーラムと連携して大成氏を応援するなど、次第に来島保存運動の輪が広がって行ったのである。
来島の保存・PRを報道するに当たっては、来島保存顕彰会が発足する前にこのような草の根的な活動があったことにまで光を当てて欲しい。特に大成氏の行動は成算あってのことではなかったと思うが、彼が投じた一石の波紋が大きなうねりを呼び起こし、今に至っていることを決して忘れてはならない。その意味で大成氏には心から敬意を表したい。