8時半の男宮田征典投手逝く

日本最初のリリーフ専門の投手、宮田征典氏が肝不全のため亡くなった。彼は今の言葉で言えば抑え専門のクローザ。昭和62年に巨人に入団。V9スタートの年1965年に一挙に開花し、主に抑えとして69試合に登板し、20勝5敗、防御率2.07の成績を残した。現在の基準で言うならセーブポイントは41になると言う。
この年はスピード、制球、配球何れをとっても抜群で、惚れ惚れするピッチングであった。流れるような美しい、そして切れのある彼のフォームが今も目に浮かぶ、シリーズ終了後の西鉄と巨人のオープン戦で、西鉄は稲尾が登板。その年に売り出した巨人の左の強打者(名前は失念)に対し、アウトロー、インローぎりぎりの速球で2ストライクの後、アウトハイの伸びのある速球(シュートだったか?)を空振りさせ、三球でし止めてしまった。終盤宮田が登場し、西鉄の左打者(誰だったか?)を稲尾と全く同じ配球でこれまた簡単に料理。二人とも若い打者を子供をあしらうかのよう翻弄した。この場面は打者の心理を読みきった一流投手の技を見た感であった。
宮田はこの後肝臓を患い、遂に最盛期のピッチングを取り戻すことは出来なかった。肝臓を患った選手の復活は難しく、もう一度8時半の雄姿を見たいと言うファンの願いは叶わなかった。肝不全とは彼の投手生命を奪った若いときの肝臓疾患が尾を引いたのだろうか。ご冥福を祈る。
【追記】(2006.07.16)
宮田投手は心臓が悪く不整脈が酷かったので、首脳部は長いイニングを投げるのは負担が大きすぎると判断し、押さえ専門にしたと後輩の宮元投手が語っていた。これは知らなかった。