暴れ川と言われていた小さな川の氾濫

東京の町田市から相模原市に向かうと、境川を渡って直ぐ相模台地に登る。その境川が二つの市の境界である。境川は普段はそれ程の水量も無い小さな川であるが、昔から暴れ川と伝えられ、広い遊水地が広がっていた。遊水地の幅は、川幅の10倍以上あったと思う。しかし長期間氾濫することもなく、暴れ川の実感が無くなったのか、昭和30年代?にその遊水地に相当数の都営アパートが建設され、民間の一戸建ての住宅も建設されて行った。
ところが昭和40年代の中頃?に大雨が降り、境川は暴れ川と化した。氾濫した水はかっての遊水地を越えて町田市内に流れ込み、大きな車輪が付いたバスやトラックが辛うじて走れるだけになってしまった。境川にして見ればここは俺の土地だと言いたかったのかも知れない。境川が暴れ川の本性をむき出しにするのは何十年に一度であっても、自然の持つ理を無視してはならないことを、この氾濫は教えて呉れたのだと思う。