思慮を欠いた富田メモの扱いを悔やむ

富田氏の奥さんが、久し振りに訪ねて来た日経記者に、懐かしさも手伝って日記の現物と、彼女も読んだことのない輪ゴムで纏められたメモを手渡したと言う(ここ)。冗談じゃない。これが本当なら不見識も甚だしい。日記は個人のもの。何のために渡したのか。今問題になっているメモは本当に日記に貼り付けてあったのか、輪ゴムで纏められたものの中にあったのではないのか、もう判らなくなってしまった。このような出鱈目な扱いをしては史料価値を失ってしまう。取り返しのつかないことをしたものだ。軽率な行為が悔やまれる。