岐阜県の名鉄竹鼻線を挟む2本の堤防

岐阜県竹鼻線不破一色駅の辺りで、竹鼻線を挟んで走る2本の堤防があった。その堤防は今は削られて無くなってしまったが、確かに無用の存在と見えた。しかし昔は何らかの必要性があったからこそ、そこに存在したと考えねばならない。考えられる理由として、木曽川長良川が氾濫する危険性が高いので、氾濫に備えて2番目の堤防を設けたという見方はどうだろうか。どうもしっくり来ない。
つい先日、尾州河野郷がかって存在したこと、現在の木曽川は16世紀末近くの氾濫で出来たもので、それ以前は境川が木曾の本流で、尾張と美濃の境だったことを知り、上記の2本の堤防は、境川が木曾本流だった当時の川の堤防だったのではなかったかと閃いた。そこで国土地理院の地図で確かめるとずばりだ。その2本の堤防は、境川と流路の形がそっくりの小さな川を挟んで走っている。この2本の堤防の間隔が昔の川幅であったとすると、今は小さな川だが昔は大きな川だったと推測される。
以上から境川尾張と美濃の境であれば、岐南町から笠松一宮市に跨る河野郷が尾州であったことも、信長の墨俣城尾張から美濃に入って直ぐの場所であったことも判った。今ひとつ、本流の直ぐ近くに上記の大きな支流があったということは、支流は蛸の足のように何本も存在したであろうと思われる。このように当時の地勢を考えると、昔の美濃・尾張に関する見方が大きく変わる。一つの情報が大きく展開したのは、望外の収穫だった。