愛媛県に河野の地名無し

松山市と合併する前から北条市に河野の地名が残っていないように感じていたので、以前の地図を調べてみた。思った通りで河野という地名は無い。しかし、河野小学校、河野保育園、河野支所が地図上の狭い範囲に記載されているので、以前は河野という地名があったのかも知れない。北条市河野氏発祥の地として河野に拘るのに、何故河野という地名が無いのか不思議。
そこで『愛媛面影』の風早郡を調べると、何と、ずっと前から河野村は存在しない。和名抄には「粟井郷、河野郷、高田郷、難波郷、那賀郷」が載っていることが記されている。しかしその次に「昔は此の五郷なりしを、後に八十四村に分かれたり。」と記し、84個の村名を列記しているが、その中に河野村は無い。84ヶ村に分かれていた時期は、記載が無いので間違っているかもしれないが、多分江戸時代であろう。いずれにしても河野村というものが無かったからには、北条市に河野という地名が無いのも無理は無い。
ところが松山市と合併した現在の地名には、「河野高山(こうのこうやま)」及び「河野中須賀(こうのなかすか)」と、河野をかぶせた町名が二つある。この二つは松山市に同一地名があるので、頭に河野をつけて区別したのであろう。ここで注目されるのは、河野をつけた町は両方とも元河野郷に属していたことである。合併に際し同一町名がある場合は、北条市側が町名の頭に北条を付けるのが原則と聞いている。それにも拘わらずこの二つの町に限って北条でなく河野を付けたのは何故か。昔河野郷であったことを意識しての命名っでは無かったか。もし当たっているなら、それは北条市側が河野氏を意識し、河野の地名を残すことを図ったのか。一度調べる必要がある。理由や経緯はどうあれ、河野の地名が復活したのは喜ばしい。