松山沖YS11墜落事故40周年

松山沖にYS11が墜落したのはついこの間のことのような気がするが、もう40年になる。あの年は何故か日本において航空機事故が連続した。2月4日に全日空が羽田沖に墜落、3月4日にカナダ航空(だったと思う)が羽田空港の滑走路の端に激突、同月5日にイギリスの航空機が富士山で墜落、そして12月13日に松山沖事故。家内の友人で当時松山で看護婦をしていた人も看護に当っている。我が家の近くにあった病院の院長がこの事故で亡くなり、病院は閉鎖したと聞く。
先ほどの放送で、事故原因はブロベラの一枚が金属疲労で破断と言っていたが、そうであるなら、同機が一度で着陸していれば、あの事故は起きなかったが、次のフライトで墜落する運命にあったことになる。無事着陸し、次のフライト前の検査で異常が発見されれば事故は防げたが、その可能性はどれくらいだろうか。