日本航空123便墜落から24年経ちKevin一家を思い出す

1985年の今日、乗客乗員520人が死亡した1985年の日航123便が御巣鷹山で墜落。もう24年になる。
この日の夕方、我が家にホームステイしていたアメリカの少年Kevinの母親と妹が、新幹線で来神し当時住んでいた神戸の家に到着した。着いて間も無くテレビニュースで日航機墜落を報じていた。
その時は気が付かなかったが、後日、東京で切符の世話をして呉れた人から、お盆なので新幹線が満員で指定券が取れず、もし航空券を取っていたら、定期便は早くに満席となっていたので、十中八九臨時便の123便だっただろうと聞き、背筋が寒くなる思いだった。事故で亡くなった方々のご冥福を祈る。
Kevin一家はオレゴン州に住んでいた。そこは随分高い山の上らしく、日本に来て始めてマクドナルドに入ったと言っていた。勿論地下鉄もなく、母親が一度乗って見たいと言うので、三宮へ出た時地下鉄廻りで帰った。姫路城に連れて行ったら、城が見えた瞬間、Beutiful!と叫んだ声が耳に残る。京都を散策し、銀閣寺で600年前の建物だと伝えると、首を振って羨ましそうにしていた姿も目に残る。
その後夫婦で二度来日したが、父親の最初の来日の時、「Kevinを可愛がって呉れて有難う。」と礼を言われた。夫婦もKevinも日本贔屓で、Kevinはオレゴン州率大学在学中に、交換留学生で早稲田大学に一年間在学した。オレゴン州立大学での日本語の先生は、夏目漱石の孫娘に当たる方とのことで、指導は非常に厳しかった由。その薫陶の賜物か、オレゴンから送って来た手紙はほぼ完璧な日本語だった。卒業後彼はまた来日し、暫く日本で働いていた。その頃はしばしば電話してきたのだが、オレゴンに帰ってから音信が途絶えている。どうしているか。
その母親も癌で亡くなった。彼女からオレゴンに来るようにと誘われていたが、現役の間はなかなか休暇が取れず、再会を果たせなかったのが心残りだ。
御巣鷹山事故の日に当たり、ふと昔のことを思い出したので、これも一つの記録と思い書き留めておく。