今日、目に止まった三つの言葉
・インド独立50周年を記念して開かれた「インドの夕べ」で、インド側代表の最高裁弁護士ラケッシュ・デヴィーディ氏が述べた言葉。
「インド独立の為に日本人が共に血を流してくれたことを忘れません。」
・カンボジャで亡くなった中田厚仁さんの言葉。
「だけれども僕はやる。この世の中に誰かがやらなければならない事がある時、僕は、その誰かになりたい。」
・そしてもう一つ、厚仁さんの父、中田武仁さんの言葉。
厚仁のからだは白い布に包まれ、とどめを刺された一撃である後頭部から左目に貫通した銃弾の痕も、それと分からないように包帯で包まれていました。母親がせめて手だけでも握ってあげたいと申しまして、恐れおののきつつ白い布を解きますと、厚仁の手は胸のうえで合掌するように組まれていました。この姿を見たとき、私には、厚仁が私たちの息子であるというようりも何か崇高なものであるような気がしたのです。・・・
息子ではありますが、気だかい人間性の発露、人間の尊厳を見たような気がして、もう厚仁は私たちのものなどではなく、たいへん気高いものになったという感動を覚えました。・・・
信ずるもののためには命を捧げても行動する、という崇高さを持った人間を示してくれたことが、厚仁の救いであると思います。貴いもの、崇高なものが人間の中にはあるということを信じさせてくれた事が。