笹ヶ峠が意外な場所に

四国カルストへ行こう」というサイトを見ていたら、意外な所を笹ヶ峠と記していた。大野ヶ原を人体に譬えると、惣川・羅漢穴から来た場合、大野ヶ原の取っ掛かりの部分、大野ヶ原小学校のある所が頭に当たり、その東が胴体となる。頭と胴体の間は南北から伸びた幅の狭い低い山で遮断された格好になっている。その山の鞍部を東西を結ぶ道が通っている。ここが丁度首に当たり、西側が頭、東側が胴体のような形になっている。鞍部と両側の低い部分との高低差は30〜40mくらいあるだろうか。上記サイトではそこを笹ヶ峠と記している。
笹ヶ峠の位置を特定出来たとすれば万々歳なのだが、ここが長宗我部側が陣を張った場所とすると、そこから50町離れた場所は羅漢穴の辺りになってしまい、大野側が陣を張るには不都合である。長宗我部側が陣を張った場所は「笹ヶ峠甫見江坂」と或る書に書かれて居て、笹ヶ峠の片側が甫見江坂と読めるが、笹ヶ峠は余分であって、単に「甫見江坂」である可能性は無いだろうか。即ち、長宗我部が陣を張った場所は「甫見江坂」であり、その場所が大野ヶ原の東端であれば辻褄が合うことになる。
「笹ヶ峠甫見江坂」と言う表現は初めて見た時から違和感を感じていた。すっきりさせるには笹ヶ峠が本当に上記の場所であったとして、「甫見江坂」、「樋ヶ峠」、「三ツ石峠」、「壱丁原」、「秋坊躰」、「道寿がなる(童子カナル)」「ふり山」などの場所を特定するしかない。