フジヤマのトビウオ古橋広之進氏逝く

古橋広之進さんがローマで亡くなった。謹んでご冥福を祈る。
古橋選手の最初のニュースは世界新だったか、アメリカに勝って優勝だったか忘れたが、下校の電車の中で大勢の人が食い入るように読んでいた新聞を、後ろから肩越しに見たことを覚えている。その新聞は夕刊だったか号外だったかは忘れたが、でかでかと古橋選手の快挙を報じていた。このニュースは戦後始めて日本人が湧き返ったビッグニュースだった。古橋選手に対抗できたのは、橋爪四郎選手ただ一人。その後二人は泳ぐ度に世界新を更新し、向かう所敵無しの有様だった。
ロンドン五輪アメリカ水泳陣は全種目優勝の快挙を成し遂げた。日本はまだ参加出来なかったのだが、ロンドン五輪の1500m決勝と同じ日に日本選手権の1500m決勝を行った。その種目でアメリカが優勝を決めたとき、プールサイドのキッパス監督のもとに日本選手権の決勝タイムが伝えられた。それを聞いてキッパス監督は「古橋選手だろう。おめでとう。」と祝辞を述べた。だが続いて二位の記録が伝えられると、キッパス監督は物も言わずに監督室に飛び込んでしまった。日本選手権の1500決勝は最後までデッドヒートで、ターンが上手かった橋爪選手はターンで先頭を奪い、古橋選手がまた追い抜き、ターンでまた逆転と、ゴールするまでその繰り返しだった。そしてゴールはタッチの差で古橋選手が優勝したのだった。
ロンドン五輪に両選手が出場していたら、水泳では400m、800m、1500m自由形は日本の圧勝で、アメリカの全種目優勝は有り得なかった。だからこそキッパス監督は二位の記録を聞いて一言も発しないで監督室に飛び込んでしまったのだった。両選手の活躍は当時の日本人の誇りであり、日本人を大いに勇気付けて呉れた。両選手の活躍は自由形長距離の高速化の引き金となったのだが、今と違い食料事情の悪い中、良くぞあれ程の活躍をしてくれたと驚嘆のほかは無い。敗戦後始めて日本人を沸き立たせ、奮い立たせて呉れた古橋選手と、終生の好敵手だった橋爪選手に心から感謝したい。
【追記】
昭和23年の日本選手権の記録が判ったので追記する。
古橋18分37秒0
橋爪18分37秒8