亡兄の怒り

僅かに生き残った戦友によると、今日が兄貴の命日。公報は8月1日となっていたが、戦友は、違う、11日だと言った。暁部隊第一期生3千数百人のうち、生き残ったのは僅か11名だったので、記録など殆んど失われただろう。食い違うのは無理もない。しかし、戦死した場所はどちらもラモン湾と一致していた。暁部隊が出撃するのは、最悪の戦場ばかりだったと聞く。その状況の中で、8月までよくぞ生きていたものと思う。
兄は勝てない戦争であることを知りながら、 国を、民族を、そして家族を守るため志願し、戦地に赴いた。装備も物量も圧倒的に勝るアメリカ軍に対し、勝てないながらも厳しく戦ったからこそ、敗戦後も侮りを受けることなく、日本は見事に復興した。
だが兄は今嘆いているだろう。俺は売国奴を守るため命を捧げたのではないぞ。外国に貢ぐために国を守ろうとしたのではないぞ、と。亡兄ら多くの戦士たちの奮戦が、東南アジア諸国民を勇気付け、戦後皆独立を獲ち取った。日本は戦闘には負けたが、大東亜戦争の目的は達成した。だが今、その日本自身が独立を失いかねない危機に直面している。売国奴たちが他国に日本を貢いだりしたら、兄は浮かばれない。多くの戦士たちが身命を賭して守った日本を、売国政治家の自由にさせてはならない。だが、兄の死を無駄にしないためにどうすべきか。日本沈没だけは見たくない。