久し振りに西尾先生と会い懇談

三週間振りに西尾先生と短時間だが懇談。
西尾先生からの話で、Tさんが湯築城跡が残ったのは保存のための市民運動のお蔭だと言った由。少し前にTさんから保存運動のことを聞かれ、色々と話たことがあったが、それを正確に理解して貰えたと見て良いのだろう。良かった。理解者が一人増えた。
次に湯築城、岡豊城、中村城、堺で出土した同笵瓦について、当ブログで何回か触れたが、それにブータンさんから種々コメントを頂戴したことをお話した。西尾先生は木型製法が天正元(1573)年に安土城築城の際に一観上人によって伝えられたと言うことに非常に興味を持たれた。湯築城跡の第四段階を造った時期が1573年前後と推測されるが、その軒瓦が木型製法で造られたものであったとなると、第四段階が造られた時期は木型製法が伝えられた1573年より後となり、その推測範囲はかなり狭まって来る。木型製法が一観上人によって伝えられたことは、菊間に残る史料に載っているらしいので、専門の研究者によって調べて欲しいと思う。
あと、過日の道後公園活性化ワークショップの報告をした。