紀州の有馬

今日の「にっぽん縦断こころ旅」で火野正平が丸山千枚田を訪れていた。コースはどうやらJR熊野市からバスで千枚田の近くまで行き、そこから自転車で目的地まで走ったようだが、バスはR311を走ったのだろう。そのR311は紀勢本線と並行して海岸沿いを走り、熊野市の次の駅「有井」駅に至る(参照地図)。(注:R311はこの辺りではR42と重なり、地圖上ではR311の字は見えない。このように地圖上でR311の名称が消える箇所が幾つもある。不可思議な国道である。)
地圖を見ると有井駅の東側と言うか南側と言うべきか知らないが、「有馬町」の文字が見える。有井駅の東側一帯が有馬町なのだろうか。
かって宇和の西園寺氏配下に今城氏が居た。今城氏は三間の戸雁一帯を領していたが、何故か有馬殿と呼ばれていた。その有馬とは今城氏の旧領の名と言われているが、奇妙なことに三間には昔も今も有馬と言う地名は無く、旧領とはどこなのか全く判らない。一方今城氏は紀州の出とも言われている。但しこれを証明する史料は存在しない。
念のため紀州で有馬なる地名を探すと、三重県熊野市に「有馬町」が存在する。ここは今は三重県だが元は紀州であった。今城氏が紀州から来たと言う話が本当なら、この有馬町の辺りが発祥の地なのだろうか。今となっては探る手懸りもないのだが、火野正平のこころ旅を観ながら、ふと昔に思いを馳せたのであった。