記紀に何故「倭」が記されていないか

倭国通史では日本書紀は「倭国不記載」の原則を貫いているが、倭国を否定したり、倭国を消し去るためのでっち上げなどは一切していないと言う。これは当時では国際標準とも言うべき、中国の史書に準じたのであろう。
あちらの史書では、例えば魏志では「倭人伝」を設けたので、倭国以外の倭人についても記したが、魏略ではどうやら「倭国伝」だったらしいので、倭国のことのみ記し、倭国以外の倭人の国々には一切触れていない由。旧唐書では「倭国條」と「日本国伝」があり、倭国伝には倭国とは古の「倭奴国」なりと記され、日本国伝には日本國は倭國の別種なりと記されていて、倭国と日本国は別の国としている。
日本書紀もこれに倣って日本国の歴史のみを語ったのであろう。今一つは白村江の敗戦の後であり、倭国とは別でなければ外交上具合が悪かったとも考えられる。そこで倭国のことを否定したりすることはないが、建前上別の国と言う体裁を採ったのかも知れない。
倭国通史のこのような見解は頷ける。もしそうであるなら、日本書紀は古代日本の歴史について貴重な情報源であり、慎重に検討しなければならない。古代の日本列島の地形も明らかになって来ているが、その中で注目すべきは或る時期の河内湾の状態と神武東征(遷)物語が良く整合することで、この物語は昔の河内湾を知らない者が創れる話ではない。と言うことは神武東征(遷)物語は本当にあったことと考えなければならないであろう。日本歴史を科学的に再検討すべき時に来た。ある意味では再検討が可能な段階に来たと言えよう。楽しみが増えた。