インカと日本人

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 先日、インカを造ったのは日本人かと言う番組を観た。その番組では、インカの人々はモンゴロイドで、昔は、シベリアからアラスカに渡り、北米を南下し南米に辿り着いたと考えられていたが、インカのミイラからズビニ鉤虫の卵が見つかったことで、このルートは否定されたそうだ。ズビニ鉤虫は寒さに弱く、5℃以下の地では死んでしまうので、北方ルートの可能性は無いとのこと。次に遺伝子が日本人と共通する部分を持っており、これは南米の西海岸のにで見られると言う。インカでは種族ごとに独自の言葉を話していたが、宮廷では他と異なる言葉を話していて、他の人たちには全然通じなかったそうだ。これは日本語だった可能性があるとしていた。更に王家の末裔が、先祖は日本人だったと聞いたことがあると話していた。この辺りは証拠とはなり得ないが面白い話。もう一つ、インカには、昔神だったか偉い人だったかが海の向こうからやって来てインカを造り、また必ず戻って来ると言い置いて海のかなたに去って行ったと言う伝承が残っている。

 出土品の中に、南米西海岸で縄文土器そっくりの土器が出ている。これは事実で、縄文人が行ったのではないかと以前から言われていた。海流に乗れば南米に辿り着くことも実証済みである。

 忘れてはならないのは、中国の古書(名前を度忘れした)に、倭人から聞いた話として、行程1年のかなたに黒歯国、裸国があり、そこに毛羽翼が居ると記している。毛羽翼とはコンドルのことらしい。このような話が伝わっていると言うことは、行って帰って来た者が居ることと意味する。なお、魏志倭人伝が二倍年暦であったとすると、1年の行程とは半年で行けると言うことで、これも実際と合っているそうだ。

 以上を総合すると、インカに日本人の血が入っている可能性は高そうだ。