8月は身内の命日が集中する月

8月は父と兄と妹の命日が続く。
父の命日は10日。もし1日遅かったら盆に掛るため、色々と休みとなり、葬式が盆明けになる際どいタイミングだった。
兄の戦死日は公報では8月1日となっていたが、僅かに生き残った戦友はこれを否定し、11日だと言ったと聞く。隊員3000人の内、生き残ったのは11名のみでは、記録など残ってはいないだろう。だから公報は凡そこの頃と言う程度の確度であることは判っていたので、具体性を伴っていた戦友の話しの方が信頼性が高いと思う。
妹は21日。医師の診断より遥かに長く生き延びたが、それは精神力と言うほかない。妹は大学で教鞭を取っていたのだが、夏休みになってほっとしたのだろう、急速に衰弱して行った。その様子から休み明けまでは持たないと思い、大学に行って状況を話し、後任の手配をお願いしたが、同僚の先生方もそんな病状とは全然気付いていらっしゃらなかった。そこまで自分自身を支えたのは、義務を果たそうとする意志の力と考えるしかない。医師も奇跡に近いと驚いていた。
明日は一般に言う終戦記念日。厳密に言うなら停戦の日。校庭に整列して玉音放送を聞いたことを思い出す。8月は兎に角色々なことが重なる忙しない月である。