日本語の乱れ

今日、新聞の投稿欄に「野球解説 磨かれた話術期待」と題する投稿があった。その中に『昨今の解説者は正しい日本語が喋れない。「敵に得点をあげたくない」とか「ピッチャー的、バッター的」とか平気で言う。』と可笑しな言葉遣いの例を挙げている。全く同感である。得点を相手にあげるなど有る筈が無い。「得点を取られたくない」と言うべきだろう。「ピッチャー的、バッター的」とは何のことか全く判らない。
ごく最近のマラソンに関するニュースで、アナウンサーが「スタートの混雑を緩和させるため、・・」と言っていた。「させる」と言うからには誰にやらせるのかを言わねば表現として不完全である。これは「混雑を緩和するため」が正しい。「・・させる」は使役動詞であるのに、使役でない場合にも「させる」が氾濫している。言葉の感覚が鈍ってしまったのだろうか。
そのほか、「いただく」や「させていただく」の氾濫、「ので」の前に来る言葉、「になります」や「・・していいですか」の乱用など、挙げて行ったら切りがない。これらについてもいつか採り上げてみたい。