墨俣城のイメージが変わる

戦国期の尾張と美濃の国境が境川であったとすると、墨俣城のイメージがすっかり変わってしまった。木曽川が境だとばかり思っていたので、墨俣は敵地に深く入り込んだ場所と錯覚していたが、本当は国境線である境川を渡ったところ、もしくは国境線の境川の中洲だった。敵地深く入り込んだ場所に築いた城なら、堅固な橋頭堡であることは判る。しかし、国境の川を渡ったところに苦労して墨俣城を築いた理由は何だったのか。考え直す必要がある。