逆浸透法による純水製造が実用に供されたのは昭和32年

逆浸透膜を使った超純水製造装置が我が国で初めて実用に供されたのは、昭和32年に稼動した神戸工業の半導体製造工場においてであると見て良いであろう。半導体工業は超高純度の材料を必要とする。最初に実用化されたのはGe、継いでSiであったが、使用されたGeの純度は99.999999%(9が8つ続くので8−9と言う)、Siの純度は10−9以上である。そのような材料の洗浄に使う水も、当然超高純度が要求される。そこで登場したのが逆浸透法による純水製造装置であった。
沖縄の海水淡水化装置の逆浸透膜日東電工製で、同社は1986年から逆浸透膜専用の工場を立ち上げたと言う。昭和32年に稼動した装置は国内メーカー製だが、膜そのものは多分アメリカから輸入したものだったと思う。半導体製造用の水は超高純度が必要だが、家庭用の水はそんな高純度である必要はない。従って技術的には何ら問題は無く、実用に供するには規模が大きいので初期投資額が大きいことだけであろう。初期投資額を抑え、ランニングコストを極力低くするために、利用法、活用法に知恵を絞ることが肝要で、後は意志の問題である。
沖縄では1日最大4万トンの淡水化能力があると言う。松山市の水供給量は一日14万トン弱らしい。沖縄では1981年から翌年にかけて326日間にわたって給水制限が続いた苦い経験があるので、いち早く淡水化装置の採用に踏み切ったのであろう。松山市では最大淡水化能力をどれだけにすべきか判らないが、5万トンでは少な過ぎるだろう。10万トンくらいは準備すべきではなかろうか。厳密なシミュレーションが必要である。
松山市は大渇水の後、何度も断水寸前まで行きながらも幸運に恵まれて危機を回避して来たので、何とかなると何もせずに15年を無為に過ごしてしまった。松山市は非常に住みやすいところであるが、雨が少ない土地なので、水不足に陥りやすいことが唯一かつ最大の弱点である。今度と言う今度は市長も身に沁みて第三の水源確保が必要と認識したようなので、第三の水源として海水淡水化装置を設けが稼動するまで、神頼み、空頼みで幸運を祈ろう。