大洲城石垣を古来工法で改修

一部傷みが激しい大洲城石垣を古来工法で改修を進めるに当たり、国庫補助が付くと言う。これは画期的なことだ。
安土城の石垣修復に際し、唯ひとつ穴太積みの技術を伝える粟田建設に工事の打診が来た。建築基準法によると積んだ石をコンクリートで裏打ちすることが求められる。しかし穴太積みは水を排出し、内部に水を溜めないので、内部の土圧が上がることは無い。従って裏打ちは必要ないと粟田氏は主張したが容れられなかったので、工事を断った。
だが2008年2月3日の京都新聞に興味深い記事が掲載された。それは「新名神に穴太積み 歩道沿い石垣採用 コンクリ強度 上回る」と題する記事で、京都大学大学院などによる耐力実験で、穴太積みはコンクリートブロック壁の強度を上回るとのデータも得られ、甲賀市甲南町と水口町の区間脇に付け替えられた東海自然歩道沿いの壁に、「穴太積み」が採用されたと言うのである(ココ)。粟田氏の主張の正しさが立証されたわけで、大洲城石垣の修理を古来工法で実施し、それに国庫補助が付くのも、上記の実績がものを言ったのだろう。
但馬の竹田城石垣は実に素晴らしいものだが、これも先代の粟田氏の手で改修されたものである。その竹田城で粟田氏の講話を聞いたことがあるが、安土城石垣改修の話はその時に聞いたものである。信長は穴太積みの技術を伝える粟田氏に任せなかったことを、あの世で激しく怒っているのではなかろうか。