湯築城跡で出土した同笵瓦の製作時期

先に3月10日〜12日の3回にわたって湯築城跡で出土した瓦について思う所を書いたが、ブータンさんから貴重なコメントを頂戴した。一部を引用する。

伊予に瓦版木が伝来して大量生産が始まったのは、「菊間瓦」の
伝承によると、天正元年に信長の安土城築城時に一観上人により
「木型製法」が伝わるとされますので、戦国期の大築城時の瓦製法
イノベーションでしょう。

天正元年は1573年、安土城完成は天正4(1576)年。これが我が国に於ける瓦の木型製法の始まりとすると、それが泉州に伝わったのは何時か。その時期と河野氏が降伏した1585年の間のごく僅かな期間が、湯築城、岡豊城、中村城、堺で出土した同笵瓦の製造時期となる。
もう一つ考えなければならないのは、菊間で木型製法が始まった時期である。湯築城で出土した同笵瓦の版木が菊間にあった可能性は低いと思うが、念のためこの点も調べる必要があろう。
こう考えて来ると、また色々な疑問が浮かんで来る。それについては頭の中を整理出来てから革めて採り上げよう。