湯築城歴史塾を受講して思うこと

 昨日、今年度「湯築城歴史塾」の最終回があり、川岡先生のお話を聴講した。先生にお目に掛るのは1年振り。湯築城のことや、中世伊豫について先生ともっと話したいこと、教えて頂きたい事が一杯有るのだが、その機会がなかなか得られない。

 湯築城一つをとっても、まだまだ解明されていないことが沢山残っている。例えば湯築城が何故あのような形状をしているのか、明確な解答は出ていない。この点についても誰かと議論したいが、その機会が無い。湯築城の変遷についても結論は出ていない。更に湯築城と密接な関係がある道後平野の条里制はいつ、誰が造ったのか、全く不明である。条里制を敷き川の流れを変えると言うことは水利権に関わることなので、強大な権力者が居なければ出来ることではないだろう。道後平野を支配するそのような権力者がいつ存在したのか、それは誰なのか、答えは全然無い。その可能性について一つの仮説を持っているが、議論する場も機会も無いのが残念だ。湯築城跡の保存運動が続いている間ならその機会もあったが、その頃はまだそこまで理解が進んで居なかった。漸くそれらについて思考できるようになった時にはもう場が無い。残念。もう書いて残す気力も無い。仕方ないか。