湯築城資料館企画展の展示品「池内文書」

湯築城資料館企画展で「池内文書」が出展されている。

『池内文書』河野通信譲状(松山市指定有形文化財) 個人蔵
建保3(1215)年、河野通信より池内冠者(池内公通・きみみち)へ宛てた所領譲状です。「東はいさ、南はあわい(粟井)さかい、西は大たう、北はかわら(河原)を限る」風早郡内に散在する田畑領地を、息子とされる公通に譲ることを記しています。河野氏関係では最古で、通信直筆の書と言われます。(以上展示品説明書)

ここで、通信の息子「公通」とは誰のことか。場所も東西南北のうち南の「あわいさかい」は粟井坂の辺り、北の「かわら」は河原かと推測するが、東と西は判らない。無責任の想像だが、譲状に記された場所は、旧北条市の河原・和田・磯河内・小川の辺りか。この推測が当たっているなら、河野郷の南の守りか。
「池内」も場所を示すと思うが、北条近辺にこの名を付けた場所があるか。何故池内冠者なのか。