昔を思い出させたサイエンス・チャンネル
テレビのチャンネルを変えていたら、サイエンス・チャンネルに行き当たった。この番組は始めてで、こんなチャンネルがあったのかと思わず見てしまった。
最初に見たのは金沢の金箔製造だった。我が国の金箔の97%(だったと思う)、銀箔は100%がここで作られているそうだ。和紙に挟んで重ねた状態で打ち、澄み打ち、箔打ちを繰り返し、最後は一万分の一mmの暑さに仕上げる。和紙も滑らかで強いものでなければならず、使ってはなめす。新しい和紙は使えるようにするまで半年掛かると言う。求められる色に応じて、銀と銅の配合を変える。打つとき和紙に挟んでいるので、箔の状態は見えない。職人の経験に基づく勘が頼り。十円硬貨の三分の一くらいの金を、最後は畳一畳くらいに伸ばす。物凄い技だ。
その次ぎに見たのは、富士フィルムの小久保さんのフォトレジスト開発の軌跡。フォトレジストの解像度が微細加工の決め手。微細化して来ると光の回り込みが像のシャープさを阻害する。その問題を克服して、光が回り込んでも像がぼけないフォトレジストをかって開発し、更に今は使用する光の短波長化に対応したフォトレジストを開発し、世界最高と折り紙が付いたそうだ。昔を思うとまさに今昔の感がある。
昭和31年にK社に入り、その年の秋に始まった日本最初の半導体製造工場の建設に参画し、翌年本邦初の半導体製品を世に送り出したのがつい先日のように感じる。当時はまだゲルマニウム製のトランジスタやダイオードだった。それから数年後シリコンに変わり、フォトレジストを始めて使ったのだが、当時はフォトレジストに限らず、肝腎なものは総てアメリカからの輸入品が頼りだった。その頃の日米の技術格差は絶望的な大きさで、どうやったら近づけるのか、想像することも出来なかった。アメリカはあらゆる分野で先頭を走り、トップ独占状態だった。それが或る日気が付いたらアメリカの独占状態にピンホールを開けていた。それは日米半導体摩擦が起きた時で、今思うと日本製品の品質が世界トップレベルと認められた瞬間だった。
若い頃、技術格差の凄まじさに絶望感に襲われながら、必死になって格闘する日々の連続だった。しかも、半導体もコンピュータも早い時期に完全自由化され、全世界との競争に晒された。当初は到底太刀打ち出来ず生き残る術はないと青くなったが、必死が付くと偉いもので、どちらも日本を支える産業に発展した。良くここまで来れたものと感慨一入だが、結果から見ると保護を外されたのが良かったのだろう。保護に安住した産業が活力を失っているのと対照的である。
半導体産業とその関連産業のレベルは、年々ホップ・ステップ・ジャンプで、進歩のスピードは他のどの産業よりも桁違いに速く、産業史上異例と言うべきものだろう。それを成し遂げた陰にはどのメーカーにもサイエンス・チャンネルで採り上げた小久保さんのような人が大勢居て、その人達の努力が齎した成果である。半導体産業は関連分野が広く、進歩が余りにも速いので、皆名を知られる間もなく進んでしまうが、その優れた人達、それを支える大勢の人達の努力に頭が下がる。今後の更なる発展を祈りたい。
半導体産業がこのように発展するとは、我々が半導体工場を立ち上げたときは想像も出来なかったが、一つの産業のスタートに遭遇したばかりか、それに参画出来たのは、我が人生の最大の幸運と思う。