奈良・牽牛子塚古墳は斉明天皇の陵墓

奈良の牽牛子塚古墳は斉明天皇の陵墓と、9日のテレビと10日の新聞で大きく報じられた。松山の来住廃寺跡・久米官衙遺跡群に一辺の長さが一町の濠を巡らせた方形の構造物遺跡があり、その大きさから天皇家の構造物遺跡と見られている。時期は斉明天皇の時代で、大きさは岡本宮に匹敵し、当時では最大級の大きさの遺構である。
斉明天皇百済救援の途中伊予に立ち寄られてここに逗留なさったのか、或いはここで何らかの儀式を執り行ったのか、詳細は判らない。有名な額田王の歌「熟田津に、船乗りせむと、月待てば、潮もかなひぬ、今は漕ぎ出でな」はその時に詠まれたものだが、熟田津がどこだったのか未だに解明されず、御陵墓同様に議論は尽きない。
女帝斉明天皇の陵墓と特定 奈良・牽牛子塚古墳
女帝の権力ほうふつ 牽牛子塚古墳
斉明天皇の墓、ほぼ確実 牽牛子塚古墳は八角形墳 奈良
奈良・牽牛子塚古墳は斉明天皇陵か 天皇家特有の「八角墳」