福島原発の事故とビンラディン襲撃作戦の準備の差

いつものことだが、アメリカが決行したビンラディン襲撃作戦の周到な準備は学ぶべき点が多い。それを報じた『ビンラディン殺害は「想定外」をギリギリ排除した緻密な作戦だった』は、結びで福島原発の事故が努力不足の結果であることを指摘している。その一節を紹介する。

福島原発の事故で東京電力はどこまでネガティブ・シナリオを立てていたのだろうか。米政府の努力を知れば知るほど、日本の原発事故が無念でならない。「想定内」は人知を尽くした努力の結晶である。「想定外」とはその努力が足りなかったことを意味する。ましてや事後の「言い訳」であってはならない。ビンラディン殺害劇はこの教訓を与えてくれたように思う。

福島の場合は人知を尽すどころか、再三の警告を無視したのだから罪は深い。更に、今回のような事態になった場合の対処法を準備していなかった上、財産の保全に拘ったため処置が送れて状況をより悪化させ、遂に炉心溶融に至ってしまった。
大事故が起きるたびに思い出す記事がある。それは、「我が国では事故を起こさないための訓練は良くする。しかし、事故が起きた場合にどう対処するか、その訓練は余りやらない。それをやろうとすると、お前は事故を起こすつもりか、絶対に事故は起こさないと言う信念はないのかと批判される。これはおかしい。」という指摘であった。安全対策は最悪を想定することから始まる。福島原発の場合は最悪の想定をしたことが無いのだから、一旦事故が起きたら一巻の終わりとなるのは当然の話。伊方原発も今のままでは同じ運命しか見えて来ない。