NHKの歴史実験は思い込みに過ぎない

 壇ノ浦において平家が敗れた原因を探る歴史実験と銘打ったNHKの番組を観た。NHKの歴史番組はいつも皮相的で偏向が酷い。今日の番組もその例に洩れず、昔から言われて来たことを如何にも検証したかのように見せかけた皮相的な出来だった。
 言わんとする内容は、武士の戦いのルールや伝統を義経が破ったのが源氏の勝因だと言うもの。戦いのルールの第一は、名の有る武士が名乗りを挙げてから戦うというもの。第二は舟戦さでは水夫を狙わないと言う。
 それぞれの疑問点を挙げる前に、武士の戦いのルールが出来ていたとするからには、それまでに武士同士の戦いの歴史が無ければならない。武士というものが歴史の主役となるのは、頼朝が勝利して幕府を開き、中世が始まってからである。それまでは開発武士団であって、自警団みたいな存在であった。戦いのルールが出来上がるほどの戦いがいつどこであったのか。戦いの歴史が無ければ、戦いのルールも伝統も出来る筈はない。
武士同士の或る程度の規模の戦いは、源平の争いが初めてではなかろうか。その源平の争乱における倶利伽羅峠の戦いなど、名乗りを挙げた戦いではない。互いに名乗りを挙げて戦った例がどれくらいあるのだろうか。戦いは通常矢合わせや礫を投げ合うことから始まると聞く。これは互いに名乗りを挙げる戦いではない。番組では義経が戦いのルールを無視したかのように述べていたが、名乗りを挙げるというルールが本当に存在していたのか、甚だ疑問に思う。
 海戦で水夫を狙わないと言うルールも本当に存在していたのだろうか。波に揺られる舟の上で放つ矢が、狙った的に当たる確率は低い。敵方の武士を狙っても、小さな舟では水夫に当たってしまう矢も多かったであろう。水夫を守るには盾を立てて置かなければ無理である。盾を置いている絵をみたことがあるが、実際にはどうだったのか。盾が無ければ両軍とも水夫の犠牲は多かったと推測する。これも義経がルール破りを命じたと言う話は合点がいかない。
 今一つ、義経の一の谷の逆落としを「大事な馬を傷める恐れのある行為は有るまじきこと」と知盛に批判させていたが、これも噴飯物である。敵の意表を衝く攻撃は当然のこと。義経が名将と称えられる所以である。
 NHKの歴史ものはどうも皮相的であり、偏っており、厳密な考証が足りない。そして更に言うなら、義経を貶めようとする傾向が強く感じられ、非常に気になる。なお上記の一の谷は現在の一の谷ではない。当時の一の谷は鵯越の麓にあった。この件については兵庫歴史研究会梅村伸雄氏の『一の谷合戦合戦における鵯越の逆落とし』に詳しく述べられていて、当ブログでも取り上げたことがある(ココ)。