兵庫歴史研究会の「一の谷合戦における鵯越の逆落し」を読み直す

兵庫歴史研究会梅村伸雄氏の『一の谷合戦合戦における鵯越の逆落とし』は、綿密で非常に説得力がある。随分前に一度読んだのだが、今日再度地名を確認しながら読み直した。この研究で先ず注目すべきは、古文書の記述に基づいて一の谷は須磨でなく、鵯越の麓の谷であることを明らかにしたことにある。即ち、『須磨に一の谷の名がつけられたのは江戸時代のこと、義経が逆落しをしたのは鵯越の麓にある大きな谷、それも美しさと湖の大きさでは摂播両国で一番であるために「一の谷」と名付けられ、「難波一谷」とも呼ばれる湖が、一の谷合戦の舞台である。』と断じているが、一遍の『一遍上人縁起』の記述も有力な根拠として引用されている。その他の地名についても厳密に考証がなされており、その地名や当時の地勢に従えば、一の谷合戦の全貌が無理なく理解できる。
なお、この記事で梅村氏は平成13〜15年にかけて「日本経済新聞」に載った『平家』や、明年NHK大河ドラマ義経』の原作となった宮尾登美子氏の『平家物語』は、一の谷合戦について大きな誤りを犯していると指摘しているが、当然の批判である。宮尾氏の平家物語屋島合戦についても噴飯物の話を展開している。この点については以前ここで批判したことがあるが、厳密な考証をせずに珍妙な物語を作るのは止めて欲しい。