湯築城保存運動特集を読み直して

 シックリ来なかった原因が分かった。原因は後半部にあった。
 湯築城跡保存問題を13年の長きに渡って長引かせた張本人は伊賀知事であり、それに決着を付けたのが加戸知事であった。所が伊賀知事には取材を基にかなりのスペースを割いているのに対し、加戸知事には一言も触れていない。取材もしなかったのだろう。加戸知事の功績に言及しなかったのは何故か?
 次に、運動が長きに渡って結束を保ったのは、島津・川岡両代表の運営が素晴らしかったためである。政党色を排し、目的を「湯築城跡を守れ」の一点に絞って市民運動に徹したことが、最後まで足並みを乱さなかった要因であった。
 今一つ、我々の武器は言論しかない。しかし我々の資金は会員が払って呉れる会費しか無い。その微々たる会費だけでは正直何も出来ない。そこで先ず考えたのは、シンポジウムの開催や、県議会への請願など、マスコミ報道に乗り易い行動を心掛け、露出度を高めるよう努力した。さらにインターネットをいち早く活用し、情報発信に努めた。その効果は大きく、湯築城保存問題は広く注視され、保存運動の支持者は全国に跨ることが誰の目にも明らかとなり、行政は大きな圧力を感じていたらしいことを後に知った。即ち、湯築城跡保存問題は県内で我々の会を封じ込めば済むものでは無くなってしまったからである。
 以上の三点について記事では全然触れていなかったのは何故か。記者の質問に対する応答が適切でなかったのだろうか。何とも残念である。
【備考】湯築城跡保存運動については「湯築城跡保存運動を振り返って」を参照して欲しい。