屋島合戦における情報戦

屋島合戦で義経の勝利を演出した河野通信の役割については、ゆづき特別号2「えひめ文化財散歩(2)」で述べたが、書き漏らしたことがある。
平家は義経が近づいていることをいつ知ったか。その手掛かりが平家物語にある。2月19日に田内勢が討ち取った首の首実権を屋島でしている。この時もし平家が義経の接近を知っていたなら、田内勢に至急戻るよう命令した筈である。だが帰還を急がせた形跡は読み取れない。平家は翌20日に攻められて始めて気が付いたのだろうか。もし田内勢が全軍でなくても、たとえ千でも五百でも屋島に急行し、義経の攻撃開始までに戻っていたら、義経の勝利はあったかどうか甚だ疑問である。田内勢が戻ったのは河野勢や熊野勢が着いたのと同じ21日であった。これでは、19日時点で平家はまだ義経の接近を知らなかったと考えざるを得ない。迂闊というか暢気と言うべきか、たがが緩むにも程がある。
情報戦という観点から眺めると、ここにも義経と平家との間に致命的な差を感じる。